2011年5月30日月曜日

七分間の「再生」

目が明く藍色は『再生』の歌。


だからROCKS TOKYOで歌いたかったのです。

完全な僕の我が儘だけど、

もう一度だけ、

七分間、僕に時間を下さい。


一路





2011年5月20日金曜日

再フォーチュン。



感情の筋肉で言葉の壁を持ち上げようと躍起になる僕は文系だ。





一路



蠢いている。



雲霞、丸い月がまるで魂のようだ。

レコーディングの帰り道
見上げた電線と電線の間からそれを見ましたら
昔に見た一枚の絵を思い出したのです。

その絵は、決して上手とは言えない誰かさんの落書きなのですが
なぜそれを思い出したかは
僕にもわかりません。

自分でもわからない自分の中のセンチメンタルが
体を掴まれた蝉の足のようにジタバタと蠢き始めていて

これはつまり
順調だという証なのです。





一路


2011年5月13日金曜日

エモーショナル


ベランダに出て、

夜の空をカッターでスパッと切って、

そこにどうしても頭から離れないこの事を投げ捨てて、

それで全部忘れたり、

全部捨て去れたりできるなら、



僕にギターなんて、

エモーショナルなんて必要ない。




一路



2011年5月7日土曜日

アゼ


頼る術無く重たい体で畑を耕し、

秋に実る稲はどんな味か。


頼る術あり軽い体で畑を耕し、

秋に実る稲はどんな味か。



僕は人が好きだ。

人が素直に考えられる社会が好きだ。

この枯渇した土壌でそういった社会がしっかりと成長できるような協力を

音楽でしていきたい。


音楽の畦道を作りたい。




一路




2011年5月1日日曜日

ヒモノタバ


もし僕の腰に運命の紐が何本も結ばれているとして、

その紐は自分と関わる人と二重結びで繋がっているとして、

もし本当にそうだとしたら、

すれ違う他人の紐と僕の紐が遠い未来

繋がるかもしれないと考えると、

内気でひねくれた僕でさえ、

誰にでも興味が沸き、

誰にでも優しくできるかもしれないと思えるのです。


本当に運命なら、

誰かと繋がっていた紐が一度切れたとしても、

腰に巻き付いた運命の紐の束から

まだ先が見えていない一本の紐を時間とともに手繰っていけば

またその人の運命の紐に結びつくかもしれなくて、

ということは、

僕らは常に誰かと出会ったり離れたりしながら

運命の紐の束を消費して生きているというわけで、

つまり、

誰とでも繋がっている可能性が常にあるというわけで、

それは本当に夢のように素晴らしい可能性だと

思えてなりません。



一路